大堀相馬焼の変遷

大堀相馬焼は、福島県双葉郡浪江町大字大堀一円で生産される焼物の総称で、江戸時代からおよそ300年を越える歴史を誇っています。
かつては相馬焼と呼んでいましたが、国の伝統的工芸品指定以後は、産地名である「大堀」の名を入れた大堀相馬焼として、相馬駒焼と区別されることになりました。現・相馬市の相馬駒焼(田代窯)は一子相伝。関東、東北で一番古い窯で、相馬藩六万石の藩窯として400年の歴史を持つと伝えられています。
それに対して、浪江町の大堀地区で焼かれた相馬焼は、主に農家の副業として営まれた半農半陶の民窯で、江戸末期には100軒の窯元が焼き物生産に携わっていたそうです。

大堀地区(旧・大堀村)は相馬中村藩の庇護のもと、焼き物の一大産地として発展しました。
野馬追いの伝統を有する藩主の家紋から得た走り駒の意匠が広く用いられるようになると、大堀相馬焼は縁起物としても広く愛されるようになりました。
その製陶技術は高く、古大堀相馬焼を見ると、現在の特徴とは違った側面が見えてきます。

3月22日の講演では、大堀相馬焼の歴史と変遷について、末永福男氏(浪江町文化財調査委員会・委員長)にお話しいただきます。
このコーナーでも、その内容についてご報告してまいります。

古大堀4
古大堀3
古大堀2
古大堀1
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